「怒り」を「知恵」にかえて今こそ「金融アセスメント法」を制定しよう
まずは、第1の、銀行の「公共性」にかかわる問題から述べてみたいと思います(注2)。
周知のように、現行の銀行法にはその「目的」を規定した第1条に、「銀行の業務の公共性にかんがみ…」という文言があります。しかし、その「公共性」が具体的に何を意味するのかという点については、必ずしも明らかではありません。そのため、様々な解釈を生み出すことになるわけですが、実は、この問題は現行銀行法の制定をめぐって盛んに論議された問題でもあるのです。
たとえば銀行業界は、「銀行の公共的性格とは、預金者保護と信用秩序の維持を図ることが根幹であり、そのためには銀行経営の『健全性』の確保こそ大切です」(「銀行法改正に関する意見」1979年3月22日付、金融制度調査会長、銀行局地宛」)という意見を表明し、「公共性」の中身を「預金者保護と信用秩序の維持」に限定すべきだとする主張を展開しました。
こうした銀行業界の主張と同様の立場に立つなら、たとえば今回の「公的資本注入」も「預金者保護と信用秩序の維持」のために行われるのであり、それに役立てばいいということになります。言い換えると、それによって中小企業への貸し渋りが緩和されるかどうかは――付随的にかかわる事柄ではあっても ――銀行業務の「公共性」を維持するための資金投入であるという観点からは、直接には関係の無いことだということになります。実際、銀行業界はこうした理解をしているようです。
また、中小企業経営者が今回の「公的資本注入」に対して抱いている「不当」感――(中小企業に冷たい)銀行をなぜ公的資金で救わなければならないのかという「不当」感――、これも、結局は、公的資金を投入して銀行業務の「公共性」を維持するということと、末端の中小企業への資金供給を確保するということが、切り離されていることへの「不満」ないし「懸念」にもとづくものだと考えられます。しかし、現行の銀行法はこうした銀行業界の主張をそのまま受け入れたものではありません。
銀行法には、「銀行の業務の公共性にかんがみ、信用を維持し、預金者等の保護を確保するとともに、金融の円滑を図る…」と記されています。つまり、「公共性」概念の中に「預金者保護と信用秩序の維持」に加えて、「金融の円滑」ということが記されており、この点では銀行業界が主張したものとは明確に異なっています。この「金融の円滑」ということについて、制定当時の銀行局長である米里銀行局長は、次のような答弁を国会で行っています。
「第1条の書き方は、『銀行の業務の公共性にかんがみ』というのが全体にかかっておりまして、信用秩序の維持、預金者保護、それとともに金融の円滑、こうなっておりまして、ここで言っております『金融の円滑』というのはあくまでも社会的に要請されている望ましい分野に資金を円滑に供給することであろうかと思います」
(衆議院大蔵委員会、1979年5月6日)。
こうした理解に立つなら、銀行業務の「公共性」を維持するために公的な資金を投入するということと、末端の中小企業への資金供給を確保するということ――健全な中小企業への貸出が「社会的に要請されている望ましい分野」への資金供給であることは言うまでもありませんから――、この両者が不可分に結びつくことになります。
さて、少々長くなりましたが、「金融アセスメント法」というのは、一言で言えば、「社会的に要請されている望ましい分野」に資金が「円滑に供給」されているかどうかを、金融危機のような異常時だけでなく、もっと定期的に調査(アセスメント)し、銀行業務のその意味での「公共性」を確保することを、監督機関に義務づけようという法律なのです。
「預金者保護と信用秩序の維持」ということに傾斜し、金融機関経営の「健全性」の維持ばかりが強調されているのが、昨今の「自己資本比率規制」型金融行政です。もちろん、金融機関経営の「健全性」は決定的な重要性を持っています。経営の「健全性」が維持されていなければ、金融の円滑」を確保することも困難です。
しかし、だからといって、経営の「健全性」さえ維持されていれば、「社会的に要請されている望ましい分野への円滑な資金供給」という、銀行業務のもう一つの「公共性」が確保されると考えることも単純すぎると言えます。経営の「健全性」の指標である自己資本比率の維持・上昇を達成しようとして、金融機関が健全な借り手である中小企業に対し「貸し渋り」や「貸し剥がし」を行っている昨今の状況は、まさに経営の「健全性」と業務の「公共性」が時として矛盾・対立することがありうることを示しています。「金融アセスメント法」を制定して、金融機関の活動を経営の「健全性」と業務の「公共性」(円滑な金融)の両面から監視することが必要です。そして、こうした監視の下で、仮に自己資本不足が原因で、両者の両立が困難になった金融機関が見つかった場合には、一定の条件の下で迅速に「公的資本注入」を実施するといった金融行政のあり方が求められているのです。
こうした金融行政の仕組みを構築することは、中小企業が社会的に重要な役割を担うものである以上――もちろん、そうあるために不断の努力を積み重ねることが中小企業経営者に求められていることを強調することも忘れてはなりませんが――、結果的に、「中小企業のための金融システムを創出する」ことにもなると思われます。
次に、第2の、銀行と借り手との間でなされる取引上の慣行が、これまで中 小企業に著しく不利であったという問題に関して述べたいと思います。
その際、理解しておく必要があるのは、たとえば「貸し渋り」の問題は、た んに「借入れがしにくい」ということだけにかかわる問題ではないということ です。
借り手の「不満」は、なかなか借りられないことだけにあるのではなく、な ぜ自分が借りられないのかということについて、銀行側から十分な説明がない ことにあります。これは、「貸し渋り」が社会現象化するとともに鮮明化してきた問題ではありますが、それ以前からも銀行との交渉力に乏しい中小企業経 営者等が常に感じてきた不満でした。
また、先に指摘しました中小企業経営者の「不満」 ――「自分たちが銀行か ら借入をする際には個人保証によって事実上の無限責任を負わされているのに、 銀行経営者自身はたとえ銀行の経営を破綻させてもその個人財産を失うことが ない。これはおかしいのではないか」といったこと――についても、実は同様 の問題が隠されています。
中小企業経営者のばあいには、居住している住宅を担保にしなければ銀行借 入ができず、また、本人はもちろん妻の「連帯保証」までとられ、ひとたび経 営に失敗すれば家族もろとも「路頭に迷う」ことになる。場合によっては、第 三者の連帯保証まで要求されるため、自分の経営の失敗で他人にまで絶大な被 害がおよぶ。こうしたリスクを背負わなければ、銀行から資金が借りられない というのが、中小企業をとりまくわが国の現状です(図2)(注3)。今回の金融危機は、こうしたことがいかにも「不当」なのではないのかという感情を、 中小企業経営者たちに強く抱かせる結果になったわけです。

しかし、考えてみれば、そもそも、こうした問題がこれまで放置されてきた こと自体が問題だったともいえるのです。前者の「説明不足」の問題についていえば、何よりもまず、「銀行の融資基準の公表や拒否理由の通知」また「拒 否が不当と感じた借り手が監督官庁に再審査を依頼する仕組み」などを確立することが必要です。少なくとも、金融機関側が融資条件を一方的に変更しよう とする場合には、文書によってその理由をきちんと借り手に通知するといったルールぐらいは早急に確立すべきだと思います。
これは「貸し渋り」や「貸し剥がし」の実体調査に役立つだけでなく、間 接的にではありますが、その抑制にも効果があると思われます。こうしたことはけっして無理なことではなく、すでにアメリカなどでは実施されています。
また後者の「個人保証」などに関する問題についても、アメリカの現状は日本とは大いに異なっています。以下の一文を紹介します。
「『こんなことを始めるために、まともな仕事をやめてしまったとは呆れた もんだ。うまく行かなかったら、身ぐるみ剥がされるくらいじゃすまんぞ』。 父は重大なことを大急ぎで告げるようにささやいた。…『いろいろな書類にサインをさせられただろう』。ローンに個人保証が必要なことを言っているのだ。 …ぼくは思わず笑ってしまった。父の時代と比べると、世の中はずいぶん変わ った。
あの頃、事業を始めるのには、すべてを投げ出す覚悟が必要だった。貯金も、家も、自尊心も。事業は人そのものだったから、失敗すれば、すべてを失う。
しかし、今日では、事業と個人のあいだには明確な一線が引かれている。会社が倒産しても、経営者の個人資産は法律で守られている。そうでなければ、 …リスクの大きい事業には、誰もが尻込みする。四十年前だったら、ぼくははたして会社を始められただろうか」
(ジュリー・カプラン著『シリコンバレーアドベンチャー』日経BP出版センター、78ページ)
ここで言う「四十年前」の状況が日本の現状です。こうした現状を放置しておけば、「会社を始め」ようとする人々はなかなか現われてきません。これは、たんに中小企業にとってだけでなく、日本経済全体の活力を維持していく上でも、大いに問題です(注4)。念のため、欧米金融機関の顧問税理士でもある 岡部享氏の次の文章も紹介しておきます。
「『げに恐ろしきは連帯保証人』というが、この制度こそ悲劇を起こす根元。 廃止すべきである。
アメリカにもこの制度はあるが、ほとんど利用することはない。すべて自己責任が原則である。銀行が融資して返済不能になれば借り主は破綻するが、そ れ以外はなにもない。自宅も守られる。銀行がそこに貸した責任を自分でとる わけだ。だからこそ、起業家が、失敗を重ねたあとで大成功する例も多いので ある」。
(『実例集・大銀行「極悪非道」の手口』講談社、1998年5月。44 ページ)
日本はあきらかに、交渉力の乏しい借り手に著しく不利な状況が放置されてきました。少なくとも、企業の代表者以外には連帯保証を求めないことを原則 とするぐらいの慣行は早急に確立されてしかるべきです。いずれにしても、こ うした問題がいつまでも改善されてこなかったために――もちろん、その1つ の原因として、社会的存在である「会社」と 私的な存在としての経営者「個人」 との間に適切な距離を置こうとしなかった「公私混同型」中小企業経営者の存 在があったことは率直に認めるべきだと思いますが――、ひとたび今回のよう な金融危機が起きると、中小企業経営者は現行の金融システムが「自分たちの ためのシステム」にはなっていない、新たに「中小企業のための金融システム を創出する」ことが必要なのだと、強く感じることになるわけです。
「金融アセスメント法」は、こうした取引慣行についても、利用者利便の維 持・向上という観点から調査(アセスメント)し、より望ましい形で金融取引 を行っている金融機関を高く評価することによって、問題のある金融慣行の是 正やより望ましい取引きルールの確立を促そうというものでもあります。この 点でも、それは「中小企業のための金融システム」づくりに役立つと思われます。
最後に、第3の問題、これまでの金融行政が官僚による裁量的な指導に極度 に依存してきたということに関連する問題について述べたいと思います
日本の行政システムがいわゆる官僚主導型で、しかも手法は主に「行政指導」 という、一般の国民からは非常に見えにくい、結局は官僚のさじ加減一つで状 況が大きく違ってくる、そういうやり方に依存してきました。そのために、結 局は、民間の企業や銀行は「お上」の顔を覗きながら業務を行なっていく、場 合によっては、「お上」の顔を立てることが消費者や利用者よりも優先される、 そんな状況を生み出すことにもなってきました。中小企業経営者たちが現行の システムを自分たちのための「金融システム」だと実感できない、その1つの 理由はここにもあると思われます。
もちろん、近年、監督官庁は金融機関に対して、従来の「事前的規制」か ら「事後的規制」に移行するべく努力していますし、金融情報の開示について もかなり進展しました。しかし、たとえば、「『貸し渋り』は大いに問題だ。 そういうことを行なっている銀行に対しては是正に向けて厳しく指導していく 方針だ」といったことを、政府とくに金融監督庁は国会で答弁していますが、 「どういう銀行が『貸し渋り』を行なっているのか」あるいは「『貸し渋り』 を行なっているかどうかを金融監督庁はどのように調査しているのか」といったことは、一般の国民には知らされていません。
「借り手である中小企業などへのヒヤリング調査などは果たして行われているのか」、あるいはまた「監督官庁が誤った判断をする場合もあるだろうから、銀行側からの『反論』の場を保証してやる必要があるが、それはどのようにしているのか。」
「『厳しく指導していく』というが、指導の効果があったかどうかは、どのようにして検証しているのか」といったことも、国民――金融システム維持 のためのコスト(税金)を負担しているのは国民ですし、またその金融システ ムの実際の利用者も国民なのですが――には知らされておりません。これでは、国民からすれば、あたかも「だまってオレたち官僚に任せておけばいいんだ」 と言われているような感覚になるのも止むをえないでしょう。
また、最近では、金融再生委員会(金融監督庁)は現状をオーバーバンキング(金融機関が多すぎる)と判断し、金融機構の整理・統合・縮小、簡単に言えば金融機関の数減らしに着手しています。その場合、「どれを残してどれを 潰すか」を決定するのも事実上官僚です。
金融再生委員会は99年6月11日付けで、「地域金融機関の資本増強についての基本的考え方」という文書を出しています。その中には次の文章があり ます。
「地域金融機関のその地域における重要性や存在状況等、地域の実状に応じたものにする。
その際、申請金融機関がその地域の中小企業に対する資金供給においてどのような役割を果たしているかについてに十分考慮する」。
地域経済に対して、どのような金融機関がどのような「重要性」をもっているのか。またそれらがそれぞれ「地域の中小企業に対する資金供給においてどのような役割を果たしているか」。こういった情報は公にされていないか、あるいは少なくとも国民が入手しやすい形では開示されていません。
しかし、それは本来その地域の住民や経営者たちにこそ知らされるべきものなのであって、監督当局が知っていればいいというようなものではありません。 なぜなら、地域に必要な金融機関を育て守っていくのは、それを利用し、それを必要としている地域住民や企業経営者たちにほかならないからです。
「金融アセスメント法」は、監督官庁に対し、「円滑な資金需給」「利用者の利便」「金融機関経営の健全性」という3つの観点(注5)から、必要な情報を収集し、金融機関の活動について評価することを義務づけるものですが、同時に、金融機関に対して下した「評価」とその判断理由を、可能な限りの多くの情報とともに、利用者が入手しやすい形で(たとえばインターネットなどで)定期的に公開することを義務づけるものです。
これは、高い「評価」を得た金融機関にとっては利用者に対する有効なアッ ピールになりますから、結果的に、利用者の増加を通して望ましい金融機関を 応援し、育てていくことになります。
また、反対に、「問題あり」と評価された金融機関は、そうした評価を監督 当局が新たな支店の設置や合併等の認可において重要な判断材料とするため、 できるだけ早く改善しておこうと考えます。
いずれにしても、金融アセスメント法は、こうしたいわば「利用者参加型」で望ましい金融機関を育成していく環境を整えるとともに、金融行政の透明化によって裁量行政の歪みを是正していくことを企図したものです。それは徐々にでも、現在の金融システムを、国民が「自分たちのための金融システム」だと実感できるようなものに近づけていくのに役立つものと確信します。
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